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スクールを10年間やってこれたのは◯◯だから

2019年7月21日

うんちゃ!

私の地元は三重県桑名市。

地元(四日市)の高校を卒業した後、関西外国語大学(大阪)で初めて親元を離れ大学生活を送ることになった。

大学3年生の時に休学してカナダに1年留学することを決意。(ちなみに私は実はスペイン語学科だったのです笑)

帰国してから就職活動を始めてすぐに2社から内定をもらった。一つは地元の大企業の部品メーカーA社、もう一つは東京の中小企業の精密機械メーカーB社。

海外営業の仕事を探していて、どちらも将来海外営業職につける可能性が高かった。

A社(地元)は給料もいいし、賃貸料手当もほぼ出してくれる。B社(東京)は給料は悪くないが、入社してから2年間しか手当が出なかった、しかも2万円のみ。

でも海外に行けるチャンスを考えて、待遇が圧倒的に劣るB社でも圧倒的に魅力に感じた。そして情熱を持ってB社に入社。

入社2年目はインドにいた。それも1年間も。現地の会社を立ち上げる会社の計画に付随して新商品のプロモーションを任された。

正直、2年目で海外営業に配属されたときは自分で自分のこと何か分からんけどカッコイイやん!って思ってた。笑

海外営業につきたかった理由は海外でバリバリ働きたかったし、それがただなんかカッコイイとだけ思ってた。(正直にいきましょう)

今思うとそんな浅い理由のヤツが海外営業で活躍できる訳が無いと分かるが、なんせ20代前半はそれだけエネルギーがビンビンしてた。

で結局、現地の人、会社の人と連携がうまく取れず「一度長い期間、国内営業でやり直そう」と言われた面談で辞職を決意し、地元桑名に帰る。

(もう少し僕の話にお付き合いください笑)

桑名に帰ってからは心の中で「英会話スクールがしたい」と考えていてた想いをよそに、「やっぱり仕事ってお金を稼ぐもんだ」と自分に言い聞かせていた。自分の本当のやりたいこと(スクール)を夢物語にして心の片隅にしまっておいた。

この葛藤が1年間もの間続いた。今でいうところのニート。

この葛藤している間にも出した答えが「海外に日本の文化を伝えたい」ということ。

色々考えたあげく、東京にいた時にお世話になっていた友人Kに電話する。

彼は東京を中心にチェーン展開する お好み焼き専門店 で働いていたのだが、私はこう尋ねた。

「海外でお好み焼きやさんの店舗を展開する計画とかあったら面白いと思って電話した。そんな話会社で出てないの?」と。

「あるよ!もし良かったら面接受けて伝えてみれば?」と好返答が来た。そして私は何をしたか?・・・保留。まだかというぐらい迷う。

面接を受けに行ったのはそれから数ヶ月のこと。おもろいヤツやなとなり入社決定!店舗は渋谷のど真ん中。

1年悩んで決めた答えをあたためて仕事を始めたが、海外の華やかなイメージと裏腹に鉄板をピカピカに綺麗にする地味な作業が営業時間後に待っていた。そして私はこう感じてしまった、「俺は一体東京のど真ん中で何をしてるんや?」と。

そして入社して2週間が経ち・・・海外で店舗拡大したいと大きな夢を語って面白がってくれた営業部長に頭を下げた。「辞めます、すいません」と。

で・・・桑名に帰郷。面白いことにこのとき葛藤という言葉はなかった、やりたいことが純粋に一つになったから。そう英会話スクールのこと。

この時点で私は26歳。20代前半は起業は超えるべきとてつもない巨塔のようなものだと思っていたが、軽快にジャンプできるフェンスみたいな不思議な感覚でささっと会社を立ち上げた。

(話が長くなりました・・・すいません。。。)

で・・・今年英会話スクール「English Brain」は10年です。当時うろちょろしてた人が10年です。

大事なのは長く続けることがいいか悪いかは置いといて、長く続くほど楽しくハマるものこそ軽やかに進むものだということです。

でもやはり葛藤は若いうちはありました。でも・・・それもよし!

この文章を書く前に「起承転結」の「結」を決めて文章を書き始めたものの長くなって反れて来たので、半ば強引に結に持っていきます。

何が言いたいのかというと・・・

お父さん、お母さん・・・ありがとう。

高校3年の時、将来どうなるか分からない専攻科目でも・・・大学に行かせてくれた。(私高校受験失敗したのでなおさら)

大学2回生の時、休学してカナダに行きたいと行ったときも・・・応援してくれた。

大学4回生の時、地元の大手企業から内定をもらっているのに東京行くことを決断したときも、心配しつつ背中を押してくれた。

入社3年目の時、インドで仕事を辞めることを決断して地元に帰って何か新しいことを見つけると言ったときも・・・受け入れてくれた。

いわゆるニートの時、・・・・・本当に何も言わずただただ見守ってくれた。

再就職で東京に行った時、今後どう東京で生活して行くか見えない中・・・また応援してくれた。

再就職して2週間して辞めると言った時、「自分のやりたいようにしなさい」・・・僕がやりたいことを真剣に聞いてくれた。

26歳になって起業を決めた時、・・・スクールの事務所の立ち上げを毎日手伝ってくれた。

そして今のスクールがあります。

今こうしてやれているのは・・・特にこの最強の2人がいたからこそです。

家族、先祖に特に感謝しています。それほど今の自分の状況がありがたいなと。

ありがとう!!